カボチャ大王、寝てる間に…。U B

                *昨年のお話はこちら→
 

 

           




 何だか奇妙なこととなり、煙のように姿を消した不思議な導師さんたちだったのへ、ほや〜〜〜っと惚けていたのも束の間の話。侍従の方から呼ばれて、ご公務が終わられた清十郎殿下の元へとぱたぱたと戻ったセナであり。昼下がりに見た“白昼夢”ではなかった証し、彼の小さな手には、くすんだ銀の指環が嵌まったままになっていて。だが、どういう加減なのか、その指環は誰の目にも留まらず。見えない訳ではないのだろうけれど、注意を引かないままに扱われ、セナ自身でさえ、よほどにまじまじと見やらねば思い出さないくらいのものとなっており。その日も、前日の昨日とさして変わらない、ちょっぴり忙しく、その分充実したままに、何事もなく暮れてゆきまして。均等でほどほどな四季が巡るこの国でも、秋といえば例に洩れずの収穫の季節なせいか、各地から税として納められたる作物や代価の品々、物品を輸送するにはあまりに遠い土地からは、収穫高と税収とが記された報告書が、駿馬を駆って馳せ参じる使者たちによって首都王城へも運ばれて来て。管理関係の部署だけでは人手が足りぬと、毎日がそりゃあ大忙し。忙しいのは下々の担当ばかりではなく、特産の作物が献上されたのを早々とお料理にしたのへお匙をつけたり、健やかなる牛や馬を育てた畜主には見事な出来栄えへとお褒めのお言葉を授けたり、国王陛下や清十郎殿下も、時間に追われるほどの忙しい日課をてきぱきとこなしていらっしゃり。国が豊かなればこその繁忙と、苦にもなさらず、精力的に消化されておいではあったれど、さすがに…お食事さえ忘れての激務はお体に障りますと、随分遅くなった昼食をとられてから、しばしの休憩をお取りになった清十郎殿下。お仕事の最中は、殿下の私室か自分のお部屋に引いているセナが、ちょこりとお顔を覗かせると、仄かながら口許をほころばせ、こっちへおいでと目顔でお招きになられる。傍で見ていると、特に何を仰有った訳でもない殿下でいらしたのに、お庭のコスモスがもう満開になっておりますよとか、テラスにやって来ていた小鳥の数が減りましたと学術博士の高見さんに伺ったなら、渡り鳥がそろそろ南へと旅立つからでしょうとお教え下さいましたとか。すぐ傍らから他愛ないことを愛らしいお声でお話するセナへと、和んだ眼差しを向けて聞き入っておいでになられる殿下であり。何とも幸せそうな空気に包まれて、それは幸せそうな構図となっておいでなのが、それを目にする傍仕えの者たちの心までふくふくと暖めてくれている。
「明日にも、もう1年となるのだな。」
「あ………。」
 昨年のハロウィンの晩に出会った二人で、それから数えれば明日で1年。殿下もまた、早いものだなとお思いになられていたご様子であり、地獄から亡者が訪れるのを撃退する宵祭り…の筈が、このお二人には共通の“幸せな記念日”と化しているようでもあって。
「………。」
 窓から部屋へと差し込む陽射しも、いつの間にやら淡い金色を帯びた優しいものへと移りゆき。乾いた風の素っ気なさとは逆に、それはそれは人懐っこく温かな色合いに変わりつつあり。すぐ間近な手元、懐ろ近くまで引き寄せた小さな少年の柔らかな髪を照らし、甘い色合いに暖めているのが何ともやさしくて、そのまろやかさからどうしても視線を外せない自分へと苦笑がこぼれる。そんな気配を察してか、
「殿下?」
 どうなさいましたか?と尋ねつつ、大きな瞳が見上げてくる。仔犬のそれのように潤みを帯びた愛らしい眼差しが、殊更に愛惜しく…そして切なくて。
「これは驕りなのだろうか。」
「??」
 大きな手のひらがそぉっと髪を梳いて下さり、深みのあるお声で、そんなことをお言いになられる殿下を見上げれば。
「こんなにも愛らしく、私などのためにと骨惜しみしないで働いてくれるお前を、守りたいと。いつも安らかにあってほしいと思うのは、自分をあまりにも過信した、僭越で驕慢なことなのかな。」
「あ…。////////
 心優しく、頼もしい殿下。何て勿体ないお言葉かと思うそのままを、お伝えすることさえ出来ないほどに。胸が一杯になって、お顔が真っ赤になったセナを、仄かな微笑みと共に見やりながら、ずっとずっと撫でていて下さる優しい殿下。自分の方こそ、こんな素晴らしい方を少しは助けているのだろうかと、それを焦れったく思うことがどれほどあったか。癒しなんて仰々しいことでなく、でも、少しでもいいからホッとして下さればいいなって。感極まってしまい、言葉が出なかったその代わり、
「………。///////
 柔らかな頬をすぐ間際の頼もしい殿下のちょっぴり硬いお胸へと、すりすり甘えるように擦りつけるセナであり。窓辺の長椅子にお休みの二人、さながら一幅の絵のように、秋の一時をそれはそれは幸せそうにお過ごしだったということです。






            ◇



 しかして。これもまた神様からの戒めか、はたまた悪魔が嫉妬しての悪戯か。昔から“好事魔多し”などと申しまして、幸せには妨げがついて回るもの。月に群雲、花に風。油断大敵、火がぼうぼう。あの苦衷の日々からもう一年もの歳月が過ぎたのだからと、人々の心も何となくながら落ち着いて来ていた。大きな声では言えないけれど、あの頃は本当に毎日が大変だったねぇ。そうでしたねぇ、でもこれからはもう大丈夫。その先行きに暗雲垂れ込めたこの国も、今は何の憂いもなく、皆様のお顔もただただ明るいばかり。この幸いを抱いて、輝かしき未来へ邁進するばかりでございましょうよと。王侯貴族や、隋臣・官吏に、下々の民草たちに至るまで、誰もが楽観視してばかりいた。そんな温かで心安らぐ空気が満ちていたればこその、悪く言えば“油断”があったということなのでしょうか。秋の収穫の喜びに沸く、そんな王城へと乗りつけた遠来からの馬車があり、
「隣国ディーモンからの御使者の方が早駆けの馬車にて、国王陛下からの早急な御通達有りとお越しです。」
 慌ただしき戦乱の最中であるならいざ知らず、火急のものを例外に、国から国へというような最高位グレードの正式な通達には、それなりの作法・様式というものがあり。まずは前以ての先触れがあってから、了解致しましたとお受けする側が国としての体裁を整えた上であらためて、国意を伝える本文とその御使者の到着を厳かにお迎えする。それから言えば、その御使者は“先触れ”を帯びて来られたお使いの方。しかも、その御使者御自身が、畏れ多くもお忙しくあられる国王陛下へではなく、外交大使でもあらせられる清十郎殿下へお取り次ぎをと申し出て下さったので。仔細を承り、実務への采配を直に振るうこととなろう外交筋の大臣と、左右の護衛のみを侍らせての対面という格好で、隋臣長が取り急ぎの場を設けて、さて。


 対面・謁見のお部屋は、王侯の方々が座す壇上と、ご挨拶を捧げに参られた方々が侍る、下座の赤絨毯の広間とにより成っていて。さして大仰豪奢な作りではないながら、大きな窓から陽が一杯に射し入る、明るくも華やいだ大きな広間であったのだけれど。
“???”
 こういう公務にも同座は出来ないセナが、だが、すぐお隣りで扉続きの控えの間へとお廊下から入りかけたその折に。丁度そのお廊下を、数人の従者を連れてお越しになった、御使者だという方をお見かけするタイミングになったのだけれども。
“…何だろう?”
 妙な違和感を感じてしまった。恐らくは上級近衛のそれだろう、勲章や帯章をさりげなく飾られた、品のある立派なお衣装をきちんとまとっておられたし、立ち居振る舞いや所作のどれをとっても、それは堂々となさっておいでであられたのに。なのに、何処の何とは言えないながらも、何かが微妙に訝
おかしいというような、そんな飲み込み難い感覚がして、無性に気になってしまってしようがない。一応の形式的な段取りを踏まえるとはいえ、先触れへのご挨拶、型通りの口上を受けるだけなのだから。対面と言ってもあっと言う間に済んでしまう筈なのだけれど。
“う〜〜〜。”
 それでも何故だか落ち着けなくって。お行儀は悪かったが、お隣りへと続く扉の間近まで立ってゆき、尚且つ、扉を薄く開けてまでして。そちらの様子を伺ってしまったセナであり。
「…ホワイトナイツ皇国、シン王朝ショージ5世国王陛下へのご挨拶。どうかお受け下さいますよう、願いますれば。」
 出だしの方を聞きそびれたものの、御使者の方のお声はよく聞こえ。小さなセナがその中へすっぽりと入ってしまえるほどにも大きな花瓶が、衝立
ついたて代わりの目隠しになっているのをいいことに、その陰にて息をひそめて、セナは対面の様子へと聞き耳を立て続けることにした。なめらかな曲線を描く壷の縁、壁との隙間にお顔を押し当てると、壇上へと向いておいでの御使者がよく見えるのだが、
“? あれれぇ?”
 やっぱり何かが訝しいなと、気になってしまったセナであり。正式なご挨拶の文言などは実はあんまり良くは知らない。けれど…例えば、マントは外套の一種なのに。王様の代理として対面下さっておられる、位の高い方を前に、何でそんなものを羽織ったままでいる御使者なのだろうか。それで言えばもっと不審なのが、大きな羽根飾りのついたお帽子をかぶったままでおいでなことで。御使者と言えば、日頃はともあれ、そのお勤めの間は国を代表する方でもある筈なのに。そんな基本のお作法をどうして蔑
ないがしろになさっておいでなのかしら。さりとて、そんな不調法をこちらから指摘するというのは、それもまた何となく気が引けるからなのか。傍らに侍る隋臣の方々も、気になるという視線を向けはしても、それを口にするところまでには至らぬまま、静謐を守り、ご挨拶へとただただ耳を傾けておいでであったのだけれども、

  「未来の王国国王よりの、豊饒栄華のおすそ分けを、
   勿体なくもお届けに参上つかまつりましてございます。」

 そんな御使者の申し立てが、何とも奇妙な言いようへと辿り着き。不遜にもその身を包んだままでいたマントの下から、腰に提げるものではなく、懐ろに忍ばせておくためのもの、女子供がお守りに使うような短い剣を、鞘を払いながら取り出して。周囲の者たちがあっと思った時にはもう、数段ほどの短い階
きざはし、憎々しいほど軽快な身のこなしと足捌きにて一気に上り詰めていた狼藉者。

  「殿下っ!」
  「清十郎様っ!」

 窓からの陽射しが悪漢の手にあった短剣の刃を不吉の青に濡らし、寒々しいほど広さの余っていた室内の空気を、音が聞こえたほどもの勢いで凍らせた、凶悪極まりない残酷な刹那。用意があっての、覚悟があっての一気呵成、躍り込むよに襲い掛かった刺客の側とは大きく違い。こうまでの意表を衝かれた襲撃には、油断していた訳ではなくたって、腕に覚えのある豪の者であったとて、そうそう素早い的確な対応が取れようもなく。万が一の“まさか”への護衛にと詰めていた方々さえ、どう考えても破れかぶれ、事後のことは考えていないだろう、こんなにも大胆不敵な襲撃はなかろうことと、心の準備とてないままに、結果、俊敏な対処への動作が間に合わなかった。そんな、身の毛もよだつような冷ややかな澹
あわいへと、

  「殿下っっ!」

 小さな影が横手から、それは素早く飛び込んで来た。狼藉者を突き飛ばすとか、排除するとかいうのではなく。ただただ殿下を凶刃から守るがためにという一念にて。その身を楯にと必死の想いで飛び込んで来た小さな少年。間に合ってということ以外は何も考えず、王子の懐ろ、つまりは急所を覆わんと、小さなその身を精一杯に広げて飛び込んで来たセナの姿を把握したその途端、

  「………っ!」

 寡黙で無口で、人とのお付き合いに関しては何かと不慣れな殿下だが、屈強精悍、闊達にして俊敏で、剣の腕も乗馬や体術も得手になさっておいでの御方だから。この唐突な展開に、やはり虚を突かれたかのように身動きを凍らせておいでであったものが。すぐ目前にて、禍々しき刃と自分の狭間にその身を投じたセナだと察してからは…それがスイッチででもあったかのように、反応も対処も速い速い。飛び込んで来た少年をこちらからも腕を引き、懐ろの中へと引き込んで、斬られようと突かれようと、最小限の痛手で済むようにと、相手へ背中を向けて身を縮める。相手の得物は小さく短い懐剣であったので、急所に深々と突き立てでもせぬ限り、最悪の致命傷にはならぬだろうとの判断が、働いたのであろうけれど。

  「甘いな、相変わらずに。」

 その不意な声は、存外と間近から立ち起こり、激痛なり衝撃なりが今にも襲いくるかと恐れて。こちらもその身を縮こめていたセナが、そぉっと顔を上げたれば、
“…あれれ?”
 殿下の大きくも頼もしい体躯にくるまれて、逆に庇われていた自分だったのへとまずはギョッとし、それからあのね?
「これって…。」
 少しほど遠目だったなら、暴漢が自分の意志からその凶刃をギリギリで止めたように見えるほど。剣の切っ先が何もない宙空にて止まったままでいる。だが、そんな逡巡があってのこの“未遂”という仕儀ではないことを示すように、
「何故…何が邪魔だてしおるのか…。」
 渾身の力を込めて突き通そうと繰り出した剣なのにと言わんばかり、忌々しげに歪ませた面差しが鬼のような形相とまで化した使者の男性。横合いに居合わせた存在から、肩口をちょいっと突かれただけで、あっさりと壇上から転げ落ち。後陣へと控えていた自身の従者たちの只中へ、ずでんどうっと引っ繰り返った。するとどうしたことだろうか、彼に従って登城した者どもな筈が、恐れ怖がって逃げ惑うではないか。
「もう、もうお許し下さいませ。」
「諦めてお許しを請うて下さりませ。」
 口々に諌めの言葉を上げながら、壁側に控えていた城付きの衛兵たちに助けを求めて駆け寄ってゆくばかりとあって。
「堕ちるところまで堕ちたもんだな。」
 やれやれという声を放ったのが、すんでのところで刃が届かず、身動きがとれなくなっていた刺客を突き飛ばした救世主。狼藉者は近衛の兵士たちに一応は取り押さえられ、もう大丈夫らしいからと、身を起こした清十郎殿下が、だが…まだどこか警戒を緩めずにおいでだったのは、助けてくれた人物だとはいえ、彼が見ず知らずの人物だったからで。だが、セナには重々見覚えのあった人。しっかと抱き締められたる懐ろから、こそりと見やって“あっ”と声が上がったほどで。

  「蛭魔さんっ。」
  「少しは役に立ったらしいな。」

 鋭角的な風貌を、尚のこと挑発的にも尖らせて。してやったりと言いたげに、にんまり笑った、相変わらずに黒づくめの魔導師様は、小さなセナの身に合わせてのこと、屈み込んでおられた殿下の頭上で、畏れ多くもパチンと指を鳴らして見せる。すると、
「あ…。」
 殿下の二の腕へ掴まっていたセナの手、左の人差し指から、あの指輪が音もなく粉々になって、宙にほどけてしまうように、ほろほろと溶けてゆくではないか。そして、それと同時に殿下とセナの二人をくるんでいた何かがパチンと弾ける。
「突発的な攻撃へ発動するシールドだ。強い攻撃であるほどに強靭さを増す代物でな。」
 そうと言って、口許だけを吊り上げて笑った彼であり、
“…そっか。”
 先日のご訪問にて、何だか妙な挙動をなさってた彼だったのだが、この障壁作用のある指環をセナへ警戒なく渡すため、あんな変梃子りんなお芝居もどきをなさった彼であったらしくって。今やっと、そんな真意に気がついたセナが見上げた先で、殿下の命を奪うつもりが満々だったのだろう刺客を壇上から見据えていた金髪の導師様。この場にいる者たちが誰一人として見知らぬ存在であったとはいえ、この場の流れとセナの態度から見て、悪い人ではなさそうで。それよりも、その…殿下のお命を守って下さった不思議な存在である御方が、きりきりと鋭い眼差しにて睨み据えた狼藉者。大それた暗殺を仕掛けて、敢えなく弾き飛ばされた“刺客”の方が、よっぽど彼らの度肝を抜いた。何故なら…その人こそは、

  「………兄上。」

 静かに立ち上がりながら。固く重いお声にて、清十郎殿下が呼ばわったのへ、他の…隋臣や侍従の方々も、項垂れるように、あるいは総身を強ばらせて、それぞれ驚愕に慄いて見せており。
“殿下のお兄様…?”
 といえば。擦れ違う格好でお城へ招かれたセナには、あいにくと面識がなかった人ではあるが。清十郎様への疑心にそのお心を凝り固まらせ、狂気の淵へとその身を躍らせたが故に、今は皇太子の座を追われ、東の湖畔の別邸へと隠居同然に押し込められた御方ではなかったか。楯の代わりにと無理強いをして引き連れて来たらしき従者たちも、罪深くも恐ろしき“暗殺”などという大罪の執行を前にして、もはやすっかりと怖じけづいてしまったらしく。広間の中央、放り出されたかのようにへたり込んでいる兄殿下へは近寄る者もないままに、息を詰めて怖々とした緊迫の眼差しを振り向けているばかり。心狂わせた方だとはいえ、まだ勘当も除名もされた訳ではない“皇太子”殿下であり、常軌を逸した行動をなさったとはいえ、ほんの数年前までは、それは徳の高い立派な殿下であらせられた御方なだけに。どうしたらいいものかと皆して息を詰めていた数刻が流れて、そして。

  「これですっぱりと踏ん切りをつけな、清十郎殿下とやら。」

 まるで時間が止まってしまったかのように。その場にいた人々が皆、手をつかねていた場面だったものを。さあさ立った立ったと手際よく尻を叩くかのような、そりゃあ覇気のある声を出すことで、場を動かす切っ掛けを投じたのもまた、金髪痩躯の不思議な青年。先程は助けてくれた人だとはいえ、殿下に対して何とも不躾な口利きをする彼であり、しかも、
「父上や母上にはなかなか出来ぬことだろう。だからこそ、この凶行をもって こやつの罪と業の深さ、もはや修復は不可能なことと、お前こそが糾弾の意志をはっきりと示すんだよ。」
 そんなことを高らかに唆すに至っては、
「何処のどなたかは存じかねるが、そのような傲岸な言いようは、ちと僭越なのではあるまいか?」
 とうとう堪り兼ねたのか、隋臣長が口を挟んで来たものの、

  「こうまでの事態になっても対処を放置して来た、
   尻腰のないお守り役の親玉は、この際だけは黙ってな。」

 すっぱりとにべもない言いようを返した彼であり、真っ直ぐに清十郎殿下へと向き直ると、
「融通の利かない手前ぇだから、長年それで当たり前だとして来た 兄上様を大切に思う気持ちを動かせず。一体どう対処すればいいのかが判らんでいるってのはお見通しなんだよ。」

  「………え?」

 おや、と。先程 頭ごなしに突き放された隋臣長までもが、はっと虚を突かれたような表情を見せ、
「……………。」
 恐らくは“名指し”での指摘をされた清十郎殿下が、心なしか項垂れてしまわれる。この場に居合わせた顔触れの中、内宮・内裏の禁忌に通じておいでの方々には、図星が過ぎて胸に痛い、痛烈な一言でもあったのだろう。
「そういうのは、普通“優柔不断”っていうんだがな。お前のは単なる“不器用”だ、こんの石頭が。」
 まったく馬鹿ばっかりだな、この王宮はよと。くすんと、彼にしては柔らかく笑った蛭魔が、だが、その笑みを素早く引っ込め、表情を引き締めて、
「いいか? お前は今、英断ってのを下さにゃならん。兄を哀れと思うなら、病んだ魂のまま、その醜態を人目に晒される生き恥という不面目を、雪
そそいでやらにゃあならん。」
 朗々と並べ立てたは、聞きようによってはそれこそ僭越千万な、兄上様の身の処断への、最も重い対処をと促すお言葉で。
「それは…。」
「非道と思うか? だがな、民の上に立つ者には、時にそんな苛酷な英断をも下さねばならん義務があるのだ。だからこそ、人々の頭上なんてご大層なところに君臨していられると言ったっていい。」
 国の命運を左右するような決断の中には、そういった…身を切られるようなものだってないとは限らない。誰か1人の命を見捨てねば、国が滅ぶというような、そんな悲しい選択を余儀なくされることだってあろう。勿論、そんな悲しい選択を我らが主上に強いないで済むようにと、臣下たちも日頃から必死懸命に頑張る訳なのだけれど。

  「……………。」

 あなたの言いようは相判ったが、それじゃあ不敬罪ということで…なんて、彼の独断であっさり断罪出来る問題でも空気でもなく。押し黙るほかはない皆様の、やはり弱気な気配を嗅ぎ取って、

  「そもそもそいつが歪んだのは、お前には責任のないことだろうにな。」

 自惚れてんじゃあないんだよと、くくくと笑った漆黒の魔導師さん。なめらかな動作にて引き締まった腕を振り上げると、そのまま勢いよく振り下ろす。すると、
「…っ!」
「えっ!?」
 広間の中央にて、近衛の兵士たちに一応は取り押さえられていた問題の狼藉者、殿下の兄上様が。いつの間に現れたやら、そのままコンパクトな個室に出来そうなほどもの大きさの、真っ黒な鳥籠のような檻の中へと放り込まれており。そんな檻が突然出現したのも不思議なことなら、あれほどしっかと取り押さえていた兵士たちからの拘束・就縛を、風のひとそよぎほどの抵抗さえ与えぬまま、どうやってだかも不明なままに、引きはがしていたこともまた不思議で。人々がめいめいに首を傾げて不思議がる中、

  「だから、こっからはこいつの資質次第だ。」
  「え?」

 この場で唯一、ただ一人、微塵にも動じぬままでいた金髪痩躯の魔導師様。にんまり笑うとその途端、彼の姿を覆うほどもの、煙というのか湯気というのか、カーテン代わりに白い煙幕がぽんっと弾けて舞い上がり、

  「………え?」

 これって何ごと? 何だか只ならない運びになって来たことへ、全員が眸を見張って息を飲んで見守る中。靄
もやが晴れたその後へ再び姿を現したるは、

  「…ひ、蛭魔さん?」
  「おうよ。」

 やはり、にんまりと笑っておいでのその姿。一体どんな仕組みの癖っ毛なのだか、天へと向かって逆立って尖っていた金の髪の隙間から…つやを滲ませて黒々と立った、立派な角が一対生えており。先程と同じその漆黒の道着の背には…服を突き破ってこそいないものの、だから尚更不思議なことに。健やかなる張りをたたえて虹色の光を含んだ、やはり漆黒の大きな翼が、時折はたりはたりと優雅なうねりを震わせながら、そこに息づいて鎭座ましまし。

  「だから言っただろうがよ。俺は魔界から来た“魔王”なんだって。」
  「えっとぉ…。」

 いや確かに、先日お久し振りにお会いした折に、そういうお話を聞きはしましたが。そうそう、その時に、さっき自分たちを守ってくれた、不思議な指環をもらったのでもありますが。
「…本当だったんですね。」
「おうよ。人間相手に嘘なんかついたら、魔界から本格的に追ん出されちまわぁ。」
 そそそ、そうなんですか? どっちかというと、人を騙すのが仕事みたいな印象があるんですが。似たようなことを思ったらしいセナが小首を傾げたのへクスクスと笑い、

  「こいつは俺が魔界まで連れていく。」

 言い放ったとほぼ同時、大きな鳥籠はその周囲からどんどんと靄に包まれて見えなくなる。そんな無体なと兄王子奪還のために近寄ろうとした兵士たちは、だが、見えない何かに次々と壁まで突き飛ばされて、触れることさえ出来ない模様であり、
「そんな…蛭魔さん、それはあんまりですよう。」
 セナまでがおろおろと怖がって見せたのへ、だが、こればっかりは聞けないのか、蛭魔は自分がかけた術を解く素振りは一切見せないまま、冷然とした顔でいるばかり。ただ、

  「まあ、聞けや。」

 こちらさんは…何かしらの考えがあってのことか、それとも覚悟の上でなのか。この顛末にもただただ黙っておいでだった清十郎殿下へと、真剣本気な眼差しを差し向けて、
「魔界に聖人はいられねぇからな。こいつの錯乱は真面目が過ぎての気の歪みらしいが、歪んでばっかな魔界が性に合えばそれでよし、向こうで気がねなく永住すりゃあいいだけのこと。合わねば…そうさな、周囲の住人たちが迷惑に感じて“魔界追放”なんて運びになるやも知れんってことさね。」
 道理
スジが通っているやら いないやら。すぱっと言って、付け足すように“ケケケ…”と笑った魔導師様で。
「でも…魔界ってそんな簡単に出たり入ったりが出来るんですか?」
「出来るか、チビすけ。」
 魔界は言ってみりゃ、天界ヴァルハラと同じで、こことは別の次元だかんな。死んでしまって体から抜け出た魂ンならねぇと無理だよと、冷たく言い放った彼だったものの、
「ただし、今日、今夜だけは話は別だ。」
 今夜はハロウィン。魔界の蓋が開く晩だからな。
「ハロウィンの晩だからこその特別扱い、迷い出た亡者に混じっての魔界行きだからこそ、そんな裏技も使えるってこった。」
 そんな日に巡り合わせようとはな、つくづくと運が良いよ、こいつってば。あくまでも“性善説”にすがりつき、曾ての兄王子を忘れられずに、どこか及び腰でいた人々を嘲笑してか、それとも。魔界の人でありながら、だのに…こうまでの至れり尽くせりをしてやる、自身のお人よしさ加減に呆れてか。細い肩をそびやかすように竦めてから、もうもうすっかりと靄の中へと没した鳥籠の傍らまでをぴょいと身軽にひと跨ぎし、

  「クドイようだがこっから先は、本人の心得次第な問題だ。
   お前らが何ぞ思うのは、
   奴への僭越と紙一重だってこと、努々
ゆめゆめ忘れんな?」

 有り難い存在からの啓示なんだか、それとも人ごときでは到底敵わぬ存在からの単なる傲岸か。人ならぬ存在が、その立ち去り際に言い置いた、少し強めのお言葉が。だが…人々をちょっとだけ、それぞれなりに抱いていた罪悪感から掬い上げてくれたような気がした、何とも奇妙な出来事だったのでございました。








            ◇



 実を言えば。あの騒動の発端に、使者として対面した相手の声を聞いたその瞬間、ああ これは兄上だと即座に判った清十郎様であられたそうで。刺客をそれと見抜けぬまま、結果としてあんな危険を招いてしまった関係各位への落ち度を数えることとなるから、彼らの体面を潰すから、だから申し立てなかった…というのでは勿論なく。
「様々に障害となって立ち塞がったろう、防衛のための数々の仕組みや何やを擦り抜けて。私のすぐ前、ああまで間近ににじり寄ることが出来た兄上であったのだから。それもまた、執念だけだはない、天の采配であるのかも知れないと、一瞬だったが思ってしまった。」
 清十郎様の御身を傷つけんとし、兄王子が直々に刃を引っ提げて襲い来たという、途中までの経緯を聞いただけで。王妃があまりのショックから卒倒してしまわれたほどの一大事が、それでも何とか“済んだこと”へと、方向的には落ち着きつつあった夕刻に。私室の窓辺のカウチに腰掛け、波立ったご自身のお心を何とか宥めようとなさっておいでだった清十郎殿下。そんな助けになってほしいと思ってのことだろう。最も愛惜しいとお思いの存在を、その命の温かさを確かめるようにとすぐ傍らへと寄せておいでで。そうと慈しまれておいでの少年が、殿下の吐露なされた心の裡を聞き、そんなとんでもないことを…と、ハッとして顔を上げたのへ、
「ああ、判っている。」
 もう大丈夫だと、緩くかぶりを振ってお見せになる。
「お前が飛び出して来たのを見て、そんな風に思うことこそが驕りだと、はっきり目が覚めたのだから。」
 そんな勝手な諦めは、勿体なくも自分のような者を大切に思ってくれている人たちを、どれほど傷つけ悲しませることか。それをそうと気づかせてくれたのも、思い返せばこのセナであったし、

『融通の利かない手前ぇだから、長年それで当たり前だとして来た 兄上様を大切に思う気持ちを動かせず。一体どう対処すればいいのかが判らんでいるってのはお見通しなんだよ。』

 剣術も体術も人並み以上の勘と腕前とを持ち合わせ、あんな咄嗟でも…相手が兄上だと判っていても、それなりの対処が出来たはず。だのに…身が凍ったかのように、ともすれば単なる刃の的にと成り果てていたのは、そんな迷いや諦めが、身の裡
うちにあったせいじゃねぇのかと。選りにも選って、初見の相手からさえ見透かされていたことへ、ハッとして息を飲んだ殿下でもあったそうで。

  “まだまだ精進が足らぬということだな。”

 相手はそれこそ海千山千の手練れ、魔界から来た魔王であったそうだけれど。本当に魔王だったかどうかは“???”な まんまだ。
“本当に魔物であったとしても…。”
 それでも…何だか口惜しい殿下でいらっしゃり。生真面目が過ぎる自分だけでは、到底こうまで、四方八方へ公平に、丸く収めることなぞ出来なかっただろうから。セナの屈託のない人柄が招き寄せた、今時の“柔軟”な頼もしさを備えた、ちょっと不思議な導師殿が、何とも面憎くてしょうがない。少年が言うには、彼は旅の途中の吟遊詩人で、今は流浪のサーカスと同行中だということだから。もしかしたなら…全ては巧妙な手品、機巧
からくりを駆使したマジックだったのかも知れず。あんなに途轍もない“魔法”が、サーカスの手品で果たしてこなせるものだろうかと、謎はやっぱり多々残り、人に攫われた兄殿下なのなら、追っ手を放たねばならぬとばかり、担当部署は妙に勢いを得て忙しそうだという話だが。まま、そう言ったドタバタも今は彼らに任せるとして。

  ――― また、逢いに来てくれると良いのだがな。

       そうですよねvv
       袋詰めにされてもあっと言う間に抜け出せる、
       不死身のハルトさんて人もいるんですよ?

 短い一言でちゃんと意志が通じてしまう、こちらの彼もまた、相変わらずに不思議な子であり。頬を撫でれば真っ赤になって、愛らしくももじもじと、含羞
はにかみのお顔を見せてくれる愛しい子。思えば、彼と出会ってからこっちは、何でも良い方向へと回るばかりであり。一番の気掛かりもまた、兄自身の心得次第で元へ戻るかもという“お墨付き”をいただいた格好にて…世間の風に当てて来ると、お外へ連れてって下さったのかも知れず。いやいや、来年のハロウィンがある意味で楽しみだったら。


  「もーりんさんたら、今から“公約”ですか? 太っ腹だなぁ。」
  「さりげなく追い詰めてんじゃねぇよ、不死身のハルト。」
  「…その二つ名だけは辞めてくらさい。」







  〜Fine〜  05.10.23.〜10.28.

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  *原作の進さんだったなら、こうまで思い詰めはしないんでしょうね。
   そんな歪んだ精神は、一心不乱に体を鍛えておれば払拭出来ましょうぞと、
   厳しい鍛練へ無理から付き合わされる兄上だったりするのかも?
   ………それではお話が成立しませんてば。
(苦笑)
   あと、蛭魔さんは蜥蜴の魔物一門の頭領様が親代わり。
   桜庭くんと痴話喧嘩をするたんび、
   ポンッと三頭身から五頭身くらいのお子様体型に変身して、
   どっぷりと甘えに帰ってたりすると…何か萌えますvv
(こらこら)

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